ボッチな私がブログの炎上について考えた
ブログを日々続けて書いていて、まぁボッチ感は半端ない訳です。
というのも他のブログをみに行かないから知り合いができる訳もないのは当たり前。
いいね!も入れる欄も無くし、自分から読者登録をするのもやめてしまえばそりゃそうな訳で、たまーに、今でも登録してくれたままのところにみに行くくらい。
なんか暗くない?それって、と思われるのかもと思いつつ今日もつぶやく私です。
ブログは匿名性を生かしたもの。
私の所にはボッチなので、何事もなく日々更新されるだけなのですが、中には炎上してしまうブログもある様子。
人を誹謗中傷して炎上させるらしく、嫌になってやめてしまうように仕向けるのが目的なんでしょうか?
それって何が楽しいのだろうか?
つまりは相手を嫌な気持ちにさせて追い込むその人はとても寂しい人なんだろうな、ということです。
相手を嫌な気持ちにさせても追い込まずにはいられないのは、直接自分に向いて欲しいからか。
しかも嫌な気持ちではなく自分に対しての好意として気がついて欲しいのでしょうね。
そんな相手に負の感情で答えるとエネルギーがもったいないのでスルーしましょう。
全く黙ってやり過ごすことが一番の得策です。
幸せそうにしている人を羨ましいから壊そうとする。
本当は自分も仲間に入れて貰って仲良くすればいいのに出来ない、天邪鬼なのでしょう。
少なくとも相手を嫌な気持ちにさせているその間だけは原因の自分のことを考えてくれるという気持ちになるからそれが嬉しいのではないでしょうか?
とても自己中心的で不毛な考え方といっていいでしょう。
無作為に人を傷つける連続通り魔事件も同じこと。
寂しいのです。注目されたいのです。
でもその行動は間違っています。
寂しいのであれば、その孤独感を思いっきり味わってみるというのはどうかと思います。
今の私の様にひとり静かに黙々とまだ見ぬあなたに向けて書く。
孤独でいても悪いことばかりではありません。
孤独でいることは自分の内面と対峙していきます。
自分のことを見極めながら文章を書くということはなかなかいいものです。
それでも孤独はどうしても寂しいという人がいれば、いい悪い、好き嫌いを入れないでコメントしてみましょう。
その時、相手の書いてある記事に共感していれば、「私もそうだと思う」とか、「こういうことじゃないだろうか?」
でもいいと思います。共感やそれから派生した会話は人を喜ばせるからです。
人との付き合い方が希薄になってきている現代。
本当は簡単なことでも難しいのかもしれない。