「からだの声の翻訳家®️」鶴木マキ∬しあわせのシグナル∬

日常から不思議な話まで。リーディングってなに?ポジティブってどんな思考?なんてことをつぶやいてます。

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孤独であるということは②(いじめについて)

いじめ問題。


まず言えることは、いじめは無くならない。

私はそう思っている。

ただエスカレートさせないことは出来るの

じゃないかと思う。


前の記事の話の続きなのか?と思うだろうが



いじめる側が絶対的に悪いのだとは思うが、

そうさせる要因(いじめたくなる要因)は

いじめられる側にもある。


こう書くと読む人が減るだろうな、

私を嫌う人がいるだろうな

と想像できるのだけど

物事にどちらか一方的に悪いと言うことはない。


(これはリーディングのはすな先生から

教わったことだが、リーディングすると

いじめる側がなぜいじめをするか

その要因も分かる。


実際の相談の実例をあげて話されるのでこちらも

そんなことで?と思うのだが、いじめられる原因

なんてそんなことで?が多いのだろう。)


話は戻すが、

いじめる側がいじめるのは

いじめられる側にも何らかの理由がある。

なぜなら、いじめる側が全員をまんべんなく

いじめるかと言えば、否な訳で

全員はいじめない。ならば

いじめるターゲットと

いじめない人と差があるのだと言える。


何らかの法則でその人は区切っている。


それが上記の


そんなことで?


なのだが、そんなことであるなら

いじめる側をそれ以上刺激しないことにある。


次男とこれを話すと


全くその通りだと言う。


悪目立ちではないが、いじめたくさせる要因が

いじめられる側にあるのだから、なるべく

目立たないように周囲になじむ処世術を身につける

しかないと言う。


それもひとつだな、と思う。


私の場合は、完全に自分から異端に走ったので、

それを貫いたわけで、相手にしない。


絡まれたとて

媚びない、同等にならない

(つまり仲良くしょうとも思わないし気にしない。

気にすれば相手の思う壺であるから。

相手はこちらが傷ついていることが分かれば

嬉しがるわけで、相手が喜ぶことをしてやる

必要はない)

泣き寝入りの様に見えても、きちんと判断する。

他の人たちにいじめ行為が広がらないうちに

先手を打つ(事実を誰かに話すとか)。


その時、自分がいじめられているという

被害者意識で話してはならない。


私の何が悪かったのかもしれないと言えること。

聞く側が判断できるスタンスでものを言わないと


私に同情してくれ❗


というスタンスになる。


基本的に人は自分に有利に話す、無意識に。

聞いた側も判断をする訳だからそこは慎重に

話さないとならない。


またもうひとつとしては、


いじってくれてありがとう❗自分は人気者

と思う。

それが出来たら幸せなんだろうな

た思う(ここまで能天気に考えることが

出来れば真のポジティブなのかもしれない)。




中学時代、学校でほとんど話さない子がいた。

いつも端で座っていて、

当日私の仲良かった友達がよくからかっていた。


一歩違えばそれもいじめだと言える。


◯◯いつも話さないよねー。声わかんないよ。

でも家ではすごくしゃべるんだって


そんな風に形容されている子だった。



それでも彼女は私たちに呼ばれれば

一緒に輪に入っていたし、嫌なんだろうか?

と言えばそうでも無かったのかもしれない。


まぁ、私の友達は性格が悪かったので、

そんなものと付き合う私も私なんだが

(同等と彼女の中の扱いになっていた私のことは

軽くからかっていたからそういう人なのだろう。)


一度だけからかい対象の子が泣いたことがある。


それは体育の時間。マラソンがダルかった

私たちは途中でサボって教室に帰った。


そして窓からマラソンをしている同級生たちを

見ていたが、つまらなくなったので

件の友達が

からかっている子のお弁当箱を開けて

おかずをひとつ摘まんだ。


まぁ、やってはならないことなので、さすがに

それは、ないなと思った訳で

だめだよー、それは


と笑いながら止めたのだが、昼にその子が気がついた。

なぜなら開けてない弁当箱の中身を言い当てたからだ。


今思い出しても申し訳ないことなのだけど、

その時初めて彼女の涙を見た。


ほとんどいつも話さない子なので泣くときも

声を圧し殺して泣いていた。


私たちはその時

からかいが過ぎたことを察して

謝ったのだがあの時の記憶は私から

今も離れないでいる。


なんてことをしたんだろうか、そう思った。


自分がしてなくても笑って見ていたので自分も

同罪なのだ。


それから彼女が私たちとつるまなくなったのか?

と言えば相変わらずだった記憶がある。


だけど、それからは以前ほどいじらなかったし、

彼女の方も(私自身もだが)他ののんびりした

グループの子たちと仲良くしていた。


そこから先はあまり鮮明な記憶が

ないまま中学時代が終わっている。



話が違う方向に行ってしまったが、

こうしてからかわれる対象になる子は

悪い子ではない。むしろ優しい子なんだろう。


だけど、跳ね返す強さはない。

言われっぱなしになっている。


言い合いが良いことではないのも知っている。


だけど、相手に舐められない様に自分で防御しないと

ならない。

嫌みのひとつも遠回しに言う。それもよいと思う。

見くびるなよ、と。

その代わり、言ったら責任をとれる自分でいないとならない。

自分に甘くて人に頼るようなら見くびられるからだ。


息子いわく、


いじめられる雰囲気を醸しているなら、

山奥でひとりで暮らすしかないんじゃないの?


とのこと。私は

できることじゃないでしょ、現実。


息子は受けて、


なら群衆に紛れ込むしかないな、やっぱり。


彼はいじめっ子でもいじめられっ子でもないが、

周囲にものすごく気を配る人間なので

自分の経験だろうと思われる。


繊細過ぎる人だから、早く独り暮らしを

したいと言う。


人がいると自然と気をつかって疲れるらしい。


孤独を好きだとも思わないが、ひとりでいる時間がないと自分が持たないのだろう。


そんなにも注意深く生きていると疲れないのかな?

と思うが、気質だから仕方ないのだろう。


人には色々な生き方がある。


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