日々の暮らしの中での学び
今月初め救急車に乗って運ばれた件。
会社から労災だからと支払いは全額自己負担させられた。
健保でもその月内に変更なら大差はないんだけど、今の会社の健保はまるで協会健保のようだ。
自分達のことしか考えてない。
私がいた頃にもそんな電話は入ったが、いいよと言っていた。
あとで医療レセプト(病院の7割の請求)は返戻(へんれい)と言って戻せばいいだけの話なのだが。
その手間をかけないために全額自己負担にて支払えと言われた訳だ。
ホントは知らんふりして保険証使うって手もありだが、すると今度は労災関係の書類がめんどくさくなるのかもしれない。
で、何を出したらいいのかわからないので(工場でないから、労災はほとんどない。社用車での交通事故はあっても)
そんな訳で近いので労基署に何を書くのか書類を貰いに行き細かくかいたものを、病院に持参した。
受付が声をかける。
この用紙は違いますよ
目の前が真っ白になる。
えっ~。分からないから労基署に行って貰ってきた用紙ですよ。
すると、労基署に確認をしてくれたが、なんと労基署が間違えた用紙を渡したらしい。
信じられない気持ちになる。そんなことってあるのか?労基担当だという人と話して用紙を貰っているのに。
病院の窓口にキレても仕方がないが、語尾がキツくなる。
しかも、せっかく行ってもその日に受け付けてくれるわけでなく後日郵送か、また窓口に来るかだと言う。
なのでこちらからも送れるのか聞くとそれは無理だと言う。
時間の無駄。昨日の午後の何時間かと今朝の時間を返して欲しくなる。
色んな意味でキレた訳だが、文句を言うのも労力を使うし結果は変わらないので、会社に戻って正しい書類をインターネットからダウンロードし(再び労基署に書類を貰いに行って文句を言うのも時間の無駄)書き込む。
今度こそ大丈夫だろうと翌朝また同じように病院に寄ることにした。
絶対朝からやらなくてはならない仕事の期日の前になんとか仕上げないとならない。
なんたって提出しないとお金が戻らない。
なんでこんなに面倒なことをしないとならないのか?
ふと考える。
専門でやっている人でさえ人は間違えるのだ。
だから、人は疑わないとならないのかも知れない。
本当に合ってる?と。
逆に言えば自分も完璧ではない。だから人はゆるないとならないということだろうか?
キレているより、文句を言うより起きたことから自分を振り返り学ばなくてはならないことがあるはずだ。
日々過ごすことで起きることに無駄はない。
自分になにかを気がつかせるため、学ばせるために起きていると思わないとならない。
そんな風に今回のことで考えた。