「からだの声の翻訳家®️」鶴木マキ∬しあわせのシグナル∬

日常から不思議な話まで。リーディングってなに?ポジティブってどんな思考?なんてことをつぶやいてます。

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ブログ書くなら、目立ってナンボ

文章を書くことが好きだ。


考えながら文字に起こしていくと自分の中で形にならないモヤモヤとしたものが浮上してくる気持ちがする。


文字に起こすことで、自分の無意識の部分が意識的になっている気がする。
それだけでなく、これを誰かに読んで貰って、またそこから疑問なりなんなり感じ取って貰ってその思ったことを教えて貰うことで更に考えることが出来ることが嬉しいから私はブログを書いている。
ひとりで書いて納得するのなら日記を書けばいい。


妹や主人をみると3年日記なるものをつけている。
一年前の同じ日の日記が今日の日記の上にあるようだ。
一年前の日記を読み返して、今日の日記を書くのが楽しいらしい。
これは本当に自分ひとりで分かって楽しんでいる。
何かを変えようとして書き続けるという気持ちはない。


ブログは誰かが見てくれていることを前提に書いている。
だから言葉も選ばなければならないし、書く内容も選ばなくてはならないだろう。
自分で変えないのは毎日書く、という一点だ。


正直、書けるネタも時間もない時もあるし、逆に書きたいことが沢山あり過ぎて記憶の隙間をポロポロとこばれ落ちていく時もある。


このものをかこうという意識というか、ものを書く時の泉のように湧き出る感情・思考ってどうなっているのだろう?と正直不思議に思う。


書くことが好きでも、それを人が読んでくれないとただの自己満足なだけ。
書いたものは理解されるものにならないとならない。



エッセイの様に書いた人物の世界観がでる文章は、短くて小説の様に長い時間の流れもいらない。
だからとても自由で書きやすい。誰でも書ける。
だから書いた人が重要なのだと言われたことがある。


書き手の文章能力は関係ない。
それより知名度なのだそうだ。


あの有名な人が書いたものだから手に取ろう、なのだ。


知名度があれば、逆にその人が書かなくてもいいということになる。


みんな、その人はどんなことを考えているか知りたいのだから。


結局人はミーハーな訳だ。特段嫌味でもなんでもなく事実。


そして自分は知られてない人なので他の人にとって私のブログなんてどうでもいいってことなのだろう。


やっぱり目立ってナンボなのだなぁ。


ということは、ブログでエッセイ風な日常日記風なことを書いてもどうにもならない。


ブログでアクセクを増やすなら、みんなの知りたいことを書け、ということになる。


しかし、まぁそれだけだと書いててネタが尽きるから自分の話へと人は流れ、その方が楽だと気がつけば日々の生活の話になってしまっている。


うーーん、やっぱりそれは違うのだろうな。


それを交えながらも、読んだ人の発想のヒントになる文章を書かないとアクセスしてくれなくなるんだろうなぁ。などとしごく当たり前のことを今更ながら思う私だった。

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