先ほど「カメラを止めるな!」をみて思いました
先ほど地上波で「カメラを止めるな!」を観たのだけど、なるほど噂通り面白かった。
何がって撮影している裏側をみせて、ホラー映画と思わせながら実は裏方は笑いあり、ちょっとしたそれぞれのストーリーもありで作られている作品だと見終わってから視聴者が納得する作品なのだと思った。
人のそれぞれの内面もこんなようなものなのだろう。
例えば職場を舞台として、今日一日の流れをまさにカメラを止めず撮ったと仮定する。
私の視点でのカメラと、隣の人の視点のカメラ、先輩の視点のカメラ。
みんな違う。同じ状態でも、見えるものの角度が違うから感じ方も違うだろう。
例えば今日課長は少しイラっとしているなと私は思ったが、他の人からはそう見えなかったかもしれない。
私は仕事をすることで一杯で周囲の女性たち(派遣社員)に気を使わない。
多分それは先輩社員から見ればイラっとくるだろう。
わたし自身が来たばかりのころからその先輩は随分の気を配ってくれたから、全く気にしていない私のことはきっと嫌だと思うのだ。
だとしてもそれは先輩の視点からの話で、私は私でまた違う角度から彼女たちをみているから違う思いでいる。
それぞれの中にそれぞれの真実がある。
人というのはだから面白い。
だれも自分が思うように人生を歩めないのはそのためでもある。
歩めないのが当たり前だと思えば悩む必要も思い通りいかなくて怒る必要もないだろう。
自分の考えと違うから、違うことをする。
違うことに対して文句をいっても願っても改善がなされない事柄なら、自分が変わればいいのだと思う。
というか、自分の考え方を変えなければ前には進まない。
同じところでグルグルする思考より、変化していかないと時間が無駄だ。
時間だけはたっていくから。
「カメラを止めるな!」の中ではエンドロールに向けて台本があり、アクシデントがありそこへ持って行くことが困難になる場面がある。
適当にあと5分やり過ごそうとするテレビ局側と、台本に添わせるやり方を考える製作者側。
人生もその場その場で機転を利かせて乗り切っていく。
エンドは必ずあり、予想しながら無意識にその方向に人は動いているのではないだろうか?
これから数年先、漠然と往きたい方向があるとすればそれに近づくために今何をしたらいいのかを、いつも考えていくことは大切だろう。