「からだの声の翻訳家®️」鶴木マキ∬しあわせのシグナル∬

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自分についての執着とは?

以前に他人に対する執着について書いたことがあるが、



相手は自分の思う通りに変わらないから、

相手に対して過度に行動を起こすのは執着心の、度をこしたもの


相手の気持ちを考えず自分の気分よく思うことばかりしているなら自己中心的なことだと思うと書いたが



今回は自分の中での自分に対しての「執着」について書く。




「執着」とはなんだろうか?


あることがらに囚われてそこから離れられなくなること。


その反対は「断念」なんだそうだ。


「断念」ということはただ諦めることではない。


そこには《不本意ながらどうなにもならなくて諦めること》という意味がある。



なんだか後悔しか感じられない。


「もはやここまで」などというセリフと同じだ。

まだ最後までやりきってないが、時間が足りないなどの理由でやりとげられない訳だ。


本来この言葉が出ると言うことは相当差し迫った場面だろう。




普通の場合やりきりましょうよ、納得いくまで。

納得行くほどやってもダメなら、それはそれを達成することがその人の最終目的ではないのだと私なら思う。


やらなくてはならないことがきっと他にある。


できなかったことに囚われてばかりいてはそれこそ「執着」だ。




「執着を無くす」とするなら最後までやりきってそれでもダメなら悔いないなと思えないと無くせないと思う。


だからもがいている間に難しいと感じて何かを

理由にして止めたとしから、それだけの情熱しかなかったのだと自分で認めることなんだと思う。


諦めたら大概逃げたことになる。


もういいや、と言う気持ちには二通りある。


「やりきってダメだからもう悔いもなくなったからいいや」の方と、「これ以上大変な思いはもういいや。どうせ無駄なんだろう」だ。


もし後者であれば後悔もあるだろう。


その時は逃げた自分を受け入れるしかない。何かを理由にして自分のせいではないと言うから後悔してしまうのではないだろうか?


まずは逃げる自分がいることを受け入れないと、囚われてばかりになってしまう。


何をしていてもそこに戻ってしまうから、次に行けなくなってしまう。


私にはその様に感じる。


だから執着しなくなるとは中途半端にやり残さないことなのだと思うのだ。


やりきると言うことは、悔いがない、後悔がないと、言うことではなかろうか?

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