「からだの声の翻訳家®️」鶴木マキ∬しあわせのシグナル∬

日常から不思議な話まで。リーディングってなに?ポジティブってどんな思考?なんてことをつぶやいてます。

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どんぐり

近頃ちょっと夏の疲れがからだに出てきたのか
朝の通勤時にブログの記事を書けずにいる。
千葉で台風が起きたあと氏神様にお参りに行った帰りに思ったことを
今更ながら書きたい。


お参りの後、敷地の外を歩いていると神社の外側に
たくさんのどんぐりの実が落ちていた。
これはあきらかに台風による強い風で本来ならまだ落ちないはずの実たちであった。


あまりに沢山落ちていて、どんぐりの気持になったら残念だったろうなと思った。


それであっても
落ちていない実はある訳だし、この落ちるのか落ちないのかは運なのか?
と考えるときっと何事も決められていて
なるようになったのだと思ってしまう。
今の私には偶然なんてなにひとつなくて
全ては決められた方向に動いているのだと思うのだ。
ただ、どんぐりはもちろん、私たち人間だって先のことは分からない。知らない。
それでもやっぱり人生は決まっていて流れる方向も決まっている。


ただ、Aというゴールに向かう道は決まっていてもその途中に
どんな道を通って行くかは選択しているのではないかと思う。
最終がきまっているのだと思えば、迷うよりは
自分がこうなると決めた道を究めるのが得策だろう。
でもその道はきっと厳しい。それは真剣さで本気度をあらわし、
その真剣さは有限な時間の中でタイムリミットもくるだろう。
時間切れになっても変わらない時、それは他の道の探求の始まりだろう。
そこを見限らないということは重要なのではないだろうか?


どんぐり同様、最終は木から落ちてしまうように、
人間も早かれ遅かれ今の生を終える。
この生は一回きりだから、例え次に生まれ直したとしても
「私」という記憶はない。
全く違うものに生まれ変わるなら、今を大切に生きなければならないだろう。


今この瞬間を大切に生きること
それは後悔をしないとこ。選択したら振り向かないで前を向く。
切り替えた時後悔して振らつかない為には真剣でいること。
結果がほとんど出てからの選択は真剣とはいえない。
状況が整ってからと言うのは真剣とは言えない。


分からない中で選択していくと、はっきりとどちらをとるのか決めないと
ならない時が来る。そして私にはその時が来たのだろうと思っている。
選択したならそちらに進む。それだけのことなのだ。



話は離れるが、先日父と会った。
すっかり弱って今では私より体重が軽くなってしまった。
家のなかでも寝巻きのままなのが気になり
「お父さん。気持ちの上でも着替えるくらいはしたほうがいいと思うよ」
と言うと、もういいのだと言う。
それでは余りに良くないと思った私は、我が子供たちのことを話した。
上の息子は来年就職活動を始める。下の息子は 大学受験の年齢だ。
二人の行く末をもう少し見守るためには頑張らないとならないよ、と。
二年後はもっと変わっていくはずだから。


父は聞きながら、
「二年か、永いな」
そう言う。
私たちの時間の感覚とは明らかに違うことを示したセリフだが、
それは私にもなんとなくわかっているから余計に
生きる目標としてあげてみたくなる。
あんなに色々家族に心配をさせた父だが、昨日の父は本当に穏やかだった。


妹が
「近頃のお父さんはかわいいのよ」
と言うがわかる。
なんであろうか、生きる気力というか
我欲がなくなってしまうと
あんなにも穏やかになるのだろうか?


主人が単身先から戻る時期も聞かれた。
ひと月半ほどであるが、それでも父にとっては永いのかも知れない。


当座の目標はそこがいいのかもしれない。



神社のそばで拾ったどんぐり。
どんぐりにはどんぐり虫がいるのだそう。
出てくる前に処分します。

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