不定愁訴は年齢だけのせいではない
間違えたことをしていないとからだの痛みや怪我はないと思っている。
勿論リーディングを習っているなかではすな先生から教わったことであり、私の体験からもそうだなと思える。
近頃はSkypeによるレッスンばかりで先生にお会いすることもなくなってきた。
はたと気がついたのはこれはいかん、と言うことだろう。
私は実践レッスンのある日に通える距離にある訳だ。
例え片道一時間かかろうと、きつい坂の上に先生宅があろうと、行けないわけでない。
昔は楽しみに月一回のレッスンに通っていたのにSkypeが便利だから、先生の話は面と向かおうが声だけだろうが変わらないといつの間にか思っていた。
休日しか出来ない家事をする。だから貴重な休みに往復2時間もかけてもね、そういう気持ちがある。
これはダメなんだろう、とふと気がついた。
あぁ申し訳ない、たるんでいる、気持ちが。
反省しかない。
先生の所に通ってのレッスンを受けていた時は
話を聞いていたり、自分がしている場面であったりしたときにからだに突然痛みが走ることがあった。
それは足の甲であったり、肘であったり、突然引っ張られているように
いたた…
と声が出るような痛みだ。
からだに反応があるのは
なんともその会話に神様自身参加されている様で
認めると痛みをなくなる、と言うことを繰り返していた。
そんな訳で神様を信じるようになったと言っていい。
間違えていることをしているときは、
気がつきなさいと体調不良になってくる。
大概私の場合、左肩が痛くなる。
「からだの声翻訳家®️」を習っているので
それが何を意味しているのかも分かる。
分かるから認めて正しくやっていかないとならない。
まぁ、
逃げるな
と、いうところだ。
逃げたところで戻されるだろう
やらなくてはならない方向に進んでいるときは
肩も痛まないなぁと思っている。
今の私は何も日々の生活を変えてないが肩は凝らない。
少し首が凝っている。前を向けと言われているのかもしれない。
ぐらついていることを言われているのだろう。
失敗を恐れていると何も出来ない。
言い訳ばかりして前に向かわない時
体調不良をおこす。
不定愁訴は年齢のせいではない。
思考と行動が大きく関係していると思っている。