本当にそれでいいの?
前の記事を書いた日の帰宅時は電車に飛び込みした人がいたために大幅に止まっていました。
私は残業と飲み会の為、定時より3時間半ほど遅く会社側の最寄り駅に着いた訳ですがそれでも電車は遅れていたようです。
これだけ止めた本人は多分もうこの世にはいないと思います。
高架線から飛び降りた様で下に通っている電車にあたればひとたまりもなかったろうし、逆にその破片を拾うので時間がかかったのでしょう。
本人は無事目的を達成して望みの通りになったかもしれないけれど、やっぱり他者の力を借りるということは迷惑もかけるということで自己中なんだよなぁと思う訳です。
そんなこと分かっているけど死にたいものは死にたいというなら、ひとり海外の雪山に行ってクレパスにても入ってくれればいいと思ったりします。
でも忘れないで欲しいのは自殺というのは周囲を悲しませるということ。周囲が悲しく思うことに対してどういう気持ちで逝くのか?
自分が残された側になると想像してからそれでも死を想うのか?ということを考えて欲しいと思います。
私の知人は子供が付き合っていた相手と無理心中をしました。
知人はその後、メンタルになり、家族内は冷え込みました。
ひとりっ子のその子供の未来を夢見ていました。
子供が命のような人だったので、ショックで会社も暫く休んでいました。
成人して少ししかたっていないその子は幼い考えで、自分と、恋人のことしかみえなくなっていたのでしょう。
自分が原因で親がどんなことになるのかも考えが及ばなかったのだと思います。
死にたいと思う時、考え方が視野狭窄になっているのでしょうから。
人の感情は考えを支配するのだと思います。
だから感情に振りまわされてはならない。支配されてはならない。
自分の感情を客観的に見つめることが大切だと思います。
それは第三者の目線になってみること。少し離れた位置からみることで、自分の感情にツッコみをいれることも出来るようになるでしょう。
自分のその考え方を疑ってみることができる
本当にそれでいいの?
この言葉は自分の感情に流されないための魔法の言葉の様に私は思います。
自分の感情はどこからきているのか、そのものの見方には偏りがないか?
偏らないようにみると物事は違って見えてきます。
死ななくてもいい考え方も見えてくると思います。