便利に慣れすぎていることに気がつく
近頃のリーディングのグループレッスンで、皆さんと一緒に参加させて貰うと色々なお題が出される。
自分ひとりでは興味ある方向も似たり寄ったりになるけれど、沢山の方たちが気になるものをリーディングでは一体どんなものなのか?とリクエストするのだが、便利な世の中になった福産物として生まれた色々なものをリーディングする機会が増えている。
前に書いた記事の「遺伝子組み換え」だったり、「品種改良」だったり、石油由来の保湿剤の意味だったり、電子レンジの意味だったり。
総じていえることは、便利になってその代償というものはあるのではないかということ。
便利を続けていくといいだけではないらしい。
かと言ってこれだけ文明が進んで、研究開発され世の中に出るということは神様が許可しているから出ている訳で。何らかの意図があって私たちは今手にしているのだ。
だとしたらそれはどんな意味なのだろう?
使用し続けた人類の先にはいったい何が待っているのだろうか?
ちょっと考えてしまった。
そして、リーディング的にこれらの便利さがあまりよろしくないという。
便利でもよいものってなんなんだろうか?
温めに使っている電子レンジ。
温めるだけでなく、もののエネルギー自体が変わる気がする。というか、私のビジョンでは温まって煙が出ているようなビジョンがみえた。
解釈も電子レンジでものを温めると湯気がでるーって、それだとそのままなので少し考える。
湯気はただものを温めただけじゃなくて、そのものの中身を壊してエネルギーが出ていっている様子。
外側は変わらないがそのものの本来のエネルギーはなくなってしまうんではないか?
(このエネルギーは栄養価を表しているわけではない。)
お湯に入れて温めても形は変わらないし、湯気もでないから、やっぱり中身に変化が起きるんだと思う。
目には見えない変化が。
やはり三次元だけでなく他の次元とこの世がくっついていることを思う。
見えない次元のことも考えながら過ごしたいと思っている。