花火って不思議
先日単身赴任の主人のもとに行った。
会社の側で花火大会があるという。
会社でも数発分の花火代を出し、組合と会社の折半で観覧シートも購入したのだが、人が集まらないから家族も参加可能なのでどうかと誘われた。
……「誘われた」と私は思っているのだが、主人は言っただけだというが、まぁ誘われたことにしておく。
ここのところ忙しいのか、今度のお盆も帰宅しない様子なのでこちらから顔を見に行った。
まぁ、いてもいなくても大して心配もしていないけれど新幹線に乗り旅行気分を味わえるのでたまに行くのもいいものだと思っている。
今年は地元の花火大会は台風で中止になったので、花火の音さえ聞くことはなかったが、思わぬところで見られた。
こんなに目の前で上がる花火というのはなかなか見る機会はなく、地元の花火大会ではみられるけれど、帰りが人が多くて帰宅が大変なので、近所で上がるが見にも行かない。
だけど、目の前で上がる花火というものは格別だと今回思った。
規模はそれほど大きくないけれどそれでもこころは高鳴るものだ。
この年齢でこころが多少なりとも高鳴るということは、若ければ若いほど感動するだろう。
若い人たちが浴衣姿で花火を見に来ているのが納得できる。
しかし、人の感情「喜怒哀楽」というものを今回花火を見ながら考える気になるとは花火って不思議。
当たり前の感情を、冷静に考えることになるとは…。まだこんな風にこころがはずむ気持ちが残されているとは。人って不思議。
半世紀過ぎて色々なこと、特に「強い喜び」の感情って(もちろん普通に喜ぶことはよくあるけれど)特別ではない日常で味わうことが少ないから貴重な体験かも知れない。
人は当たり前にある幸せにだんだんと麻痺して喜ぶ気持ちって少なくなっていく気がする。
当たり前のことが本当は一番素晴らしいことなのかもしれないのに。
こうして生かされて素敵なものをみることが出来る。
この当たり前に感謝して過ごさないとならない、そんな気持にしてくれた花火だった。