「からだの声の翻訳家®️」鶴木マキ∬しあわせのシグナル∬

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「子供②」どう書いたらいいのか?②

(前回の記事の続きです)
息子のクラスメートで登校拒否児に手紙を書けと担任からいわれた息子。
どう書いていいのか困っていました。


私だったらもしその子がその手紙を息子のいうように捨てず、何かの機会に読むことがあったとしたら、




会わずに終わったけど、もし次で同じような目にあっても、相手は変わらないよ。
自分を変えとかないと周囲との関係は変わらない。
学校で人とうまくいかないんじゃ、人以外のところで行く意義をみつけてくれよ。
図書館で本読むんでも、先生と話するのでもいい。
学校へは勉強に行くんだと思ってひとりでも平気なメンタルになれよ。
おせっかい野郎より




って書くかな。




学校は社会の縮図。メンタルを鍛える場所でもあります。




先生は息子の顔に出ているアトピーを心配して、個人面談の時に




もし、彼がいじめられたら僕は全力で守ります




とおっしゃっていました。熱血漢なんですがね、いい先生ですけど、違うんだな。
当人の気持ちが分からない。
かくいう先生も訖音症があり、きっとなやまれたことであろう。
だからそんなことをおっしゃるのだろうが、先生に守られているだけでは、その楯がなくなったらどうなるのか⁉息子はそれを知っている。


だって彼は生まれたときからこの肌で、幼いうちから色んなことを言われていた。




案の定息子に
先生、守ってくれるってさ




といったら、
こんなんでいじめられてたら俺とっくに学校いってないよ。




いじめはその本人の気持ちがそう思うからいじめなのです。
いじめと決めているのは本人とその周辺。
加害者と被害者を作り、被害者だけが擁護されて


「行かなくてもいいよ」


これは違います。


相手は変わらない。
いじめることで優位に立とうとする人は、やっぱりいじめられたことがあるから同じことをして優位に立とうとする。


親にいじめられている時もあるだろう。
無意識にいじめではなく、しつけといって
子供に虐待をしていれば、子供は自分がやられたことをしてもいいと学ぶだろう。


集団でやるのは、ひとりでそういうことができないから。


周りが同調してはならないけれど、そうなった場合、やっぱりひとりでいる勇気を学んでいるのだと思って通い続ける努力をしなくてはならないのだと思うのです。




最初は怖いかもしれないけれど。
耐えることをそこで学んでいるのだと思って、強いメンタルをつくりましょう!!


もっとも、嫌だと思ってばかりでは学校が嫌な思い出になります。


ひとりでいるというのは、周囲に合わせる煩わしさがない訳で、慣れれば楽です。


これは高校時代クラスメートとほとんど話さなかった私の実体験だから本当です。


学校にいくほかの意義をみつけてみましょう。
図書館の本でもいいし、先生と話すのにいくでもいい。
学食を楽しみにいくでもいい。
通勤の途中の中で楽しみな日課があってもいい。
小さなことでいいから行く意味をみつけてみると、学校に行くのが苦痛にならなくなってきます。


苦痛にしているのは、原因ではありません。
本人の気持ちでどうにでも行動は変わっていきます。



息子がどんな手紙を書いたかは分からずじまいでしたが、子供のひとことに考えさせられた話でした。

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