作品は作者のエネルギー
先日はすな先生のもとへ。
先生との個人レッスンはあと数回しか出来ない。
それは寂しいものだが仕方ないことだ。
はすな先生もまた新しい事業を始めるから今までのものとの両立は無理なのだ。
だからこれからは私たちが担わなくてはならない。
いつも言われるのは、
神様は二つのことをさせない。
どちらかひとつだけしか達成できない。
真剣さを試される。
私は職場でフルタイムで働く。
だからリーディングひとつに絞ることが出来ない。
リーディングは本当のものだと思うが、この三次元で生活していかないとならない現実があるから私は職場を辞められない。
私にはまだ高校生の息子がいる。
この子を大学まで行かせるためには、今の職場を辞めるわけにはいかないと思う。
では仕事の内容が自分にあっているかと言えば、今の仕事に特別感を感じているわけではない。
だけど居づらい訳ではないし、苦しいわけでもない。
まぁ、最初からこうではなく、努力の結果そうなったのだが。
もっとやれば何かが変わっていくのか、今のままなのか⁉
現状ではわからない。
分からないからか、許可が降りないので辞めることもない。
許可とは、自分から辞職しなくても、結局その様になっていった場合、例えば、定年とか、会社の倒産とか。
そこにいられなくなる意味は、もうここで仕事をしないで次の場所で頑張りなさい、という意味がある。
とりあえず、今の部署は安泰でなくなる予定はない。
前の部署ならなくなっていただろう。今まさに前職は瀬戸際らしい。
気がつけば、私が配属された場所はことごとくなくなっている、私が去ってから。
たから結果私は職にあぶれてはいないのだけど。
不思議なものだ。
さて、話が長くなった。
はすな先生とのレッスンである人の描いた皿をリーディング。
よい意味の絵柄をモチーフにしているのできっとよいエネルギーだと思ったが、絵画だけでないだろうけれど、芸術というものは作者のエネルギーが強くはいるらしい。
金魚の描かれた絵皿は、リーディングでも金魚が出てきた。
スーっと楽に泳いでいく姿に、商売をする人には楽に世の中を泳いでいくのかな?と思った。
スーっと泳いでいった金魚がまだ戻ってきた、と思ったが戻ってきたのは違う金魚だった。
リーディングでの意味を自在に泳いでまた戻ってくるとおもったが、先生は
違う金魚をつれてきた訳じゃないんでしょ。
違う金魚なんでしょ。
という。
ハイそうです。
行ってしまった金魚はふっくらしていたのに、戻ってきた金魚は種類が違う細い金魚でした。
ちゃんとそこから意味を読み取らないとなりませんでした。
何度かトライするも、金魚でない形でみせられて意味が良くわかりません。
結局そのビジョンはバラバラを表している様子でした。
先生も、よい意味のエネルギーのものを集めたのはいいけれど、バラバラに描かれていてエネルギーもバラバラになっている。
中途半端なのよ、という。
その通り。
絵柄一つ一つは上手なのにもったいない。
描いたかたのエネルギーが、中途半端なんだそうでどうしてもそうなってしまう。
描かれた金魚が蓮に向かっているものの、立てると花は逆さを向いているのでした。
それでは構図をリーディングで指定して描いてもらったらいいのでは?と先生に聞いてみましたが、やはり作者のエネルギーは入るのでどうしても中途半端になってしまうらしいです。
作られたものは作者のエネルギーが沢山はいるようです。