高野山へ
週末、国際カウンセラー協会で高野山へ行ってきました。
師匠のはすな先生は開祖弘法大師空海を以前からリーディングしていて、空海さんと話をなさいます。(言葉でなくビジョン…でだと思いますが、はすな先生はその人の特徴をとらえた言い方もなさるので聞こえる?耳なのか頭の中なのかわからないですがこともあるのだと思います)
今回は空海の開いた高野山に行こうということになったわけです。
和歌山県は関東地方からは遠くて、なかなか行けないのですが、正月明けにいつも行く神社へのお参りのあと、その時は比叡山延暦寺へ寄りました。
ですが、最澄よりやはり空海ということで、近いうちに高野山へ行かないとという話が出ていたのですが、早かったですね。行きましょうとなるのが。
そして今回御朱印帳と四国お遍路巡りのための御朱印帳も購入しました。
はすな先生はおっしゃるのですが、死んでいくとき、ミイラ化するように干からびてなくなっていくというのが人間の自然な死に方。
年を取り自然と食が細くなり食べることも出来なくなってくる。
それを無理に食べさせる必要はないのだといいます。
色んな欲が削ぎ落とされて仏様になるのだろうという気持ちになります。
そんな訳で、お遍路巡りというのも死出の旅立ちへの準備。
私たちのリーディングでみせてもらえるビジョンというのは宇宙を作っている存在から繋がっているものなのだと思っています。
その名前がわからないので神様といっているのですが、もしかしたらその存在に名前なんて必要ないものかもしれないなと思ったりします。
神様と仏様とは違う存在であるのは確かで、仏教の始まり、釈迦の教えは人は罪深い人でも死んだら皆仏様になるのだということ。
空海の教えは、人のなかにもう仏のこころは宿っているから、生きているうちから私たちは仏様になれるという考え方です。
仏様は神様とは違うので、はすな先生の元私たちはお寺に行くということで浄化と瞑想はしないとならないのでした。
浄化というのは無垢の丸水晶をおへそのした辺りにおいて呼吸をする方法ですが山は丸だまに何か入り込まれる可能性があるということで持参しませんでした。
ですがなんであれ呼吸法を行わないとなりませんでした。
丸玉には自分の守護神様が入ります。私たちの魂を物質化したのが丸玉だと思ってください。
しかし、山には色々なものがいるので私たちの魂をとろうとするものがいます。
なのでダミーを持ってくるとか、本体はこっそり隠すとか人によって色々な方法をとったのではないかと思います。
高野山では、浄化が足りない知らせとして、参拝中ずっと雨模様でした。
雨と言うのは天が浄化しているということになります。
雨が降った後周りの汚れを流し美しくて清々しくるのを誰もが知っていると思います。
この事については今回の旅行の終わりに先生から話されました。
何かを理由に怠惰でいること。
改めないとならないことでした。
私たちは誰も黙っていたらわからないと思っていても、神様だけは知っていて、だから怠惰でいてはいけない、誰に言われることでなくても、天からみられているのだとわかっているのにまた反省させられました。
こうして毎回、気がつかされる旅となります。