悩みの源

悩みがない人なんていない!!でも悩まない方法ってわからないから悩むんです。その悩みの源考えていきましょう!

悩むことをしないために


会社のこと、息子の学校でのこと……。
人は悩みとともに生きているのかもしれません。
でも、その悩みとは自分の中にしかなく、どう考えるかで感じ方も変わります。


ポジティブに考えるには、まず自分が思ったこと、感じたことが事実か確認することです。


自分にばかり意地悪されていると感じるなら、嫌われているかも知れないと感じるより、好きの裏返しかも知れない、そんな風に考えてみるのはひとつの手です。


そんなに私のこと好きなの?


と聞いてみると、案外もう嫌なこともしないかもしれない。


それでもやって来るなら、


やっぱり好きなのね


といったら、多分、普通の場合


止めます、からかうの。


どちらにしても面と向かって言われると、いじめる側も恥ずかしいし、後ろめたい気持ちもあると思います。


激しく反発しないで、相手がたじろぐ反撃をするのがよろしいと思うのです。


泣いたり、嫌な顔をすると余計嫌なことをしてくるので強く逆にからかう感じでやり返すことがいいのかもしれない。
まぁ、相手によりけりかもしれませんが。


話してみても誤解でなく本当に単にからかってくるならこの方法。


話して誤解だとわかるなら、真実を確認してからこちらの対応を考えるやり方。


基本はそれなんではないだろうか⁉


そう思います。


何よりも悪いのは仮説をたてていかにもそれが事実はであるかのような思い込みです。



思い込みは相手の気持ちをわからず、自分の主観で突っ走るから見違えるのです。
しかも、いつまでも考え込んでしまう。


時間と気持ちの無駄遣いだといっていいでしょう。


被害妄想な思い込みのことばは


私だけ


です。それが出たときは気を付けた方がいいと思うのです。

「子供②」どう書いたらいいのか?②

(前回の記事の続きです)
息子のクラスメートで登校拒否児に手紙を書けと担任からいわれた息子。
どう書いていいのか困っていました。


私だったらもしその子がその手紙を息子のいうように捨てず、何かの機会に読むことがあったとしたら、




会わずに終わったけど、もし次で同じような目にあっても、相手は変わらないよ。
自分を変えとかないと周囲との関係は変わらない。
学校で人とうまくいかないんじゃ、人以外のところで行く意義をみつけてくれよ。
図書館で本読むんでも、先生と話するのでもいい。
学校へは勉強に行くんだと思ってひとりでも平気なメンタルになれよ。
おせっかい野郎より




って書くかな。




学校は社会の縮図。メンタルを鍛える場所でもあります。




先生は息子の顔に出ているアトピーを心配して、個人面談の時に




もし、彼がいじめられたら僕は全力で守ります




とおっしゃっていました。熱血漢なんですがね、いい先生ですけど、違うんだな。
当人の気持ちが分からない。
かくいう先生も訖音症があり、きっとなやまれたことであろう。
だからそんなことをおっしゃるのだろうが、先生に守られているだけでは、その楯がなくなったらどうなるのか⁉息子はそれを知っている。


だって彼は生まれたときからこの肌で、幼いうちから色んなことを言われていた。




案の定息子に
先生、守ってくれるってさ




といったら、
こんなんでいじめられてたら俺とっくに学校いってないよ。




いじめはその本人の気持ちがそう思うからいじめなのです。
いじめと決めているのは本人とその周辺。
加害者と被害者を作り、被害者だけが擁護されて


「行かなくてもいいよ」


これは違います。


相手は変わらない。
いじめることで優位に立とうとする人は、やっぱりいじめられたことがあるから同じことをして優位に立とうとする。


親にいじめられている時もあるだろう。
無意識にいじめではなく、しつけといって
子供に虐待をしていれば、子供は自分がやられたことをしてもいいと学ぶだろう。


集団でやるのは、ひとりでそういうことができないから。


周りが同調してはならないけれど、そうなった場合、やっぱりひとりでいる勇気を学んでいるのだと思って通い続ける努力をしなくてはならないのだと思うのです。




最初は怖いかもしれないけれど。
耐えることをそこで学んでいるのだと思って、強いメンタルをつくりましょう!!


もっとも、嫌だと思ってばかりでは学校が嫌な思い出になります。


ひとりでいるというのは、周囲に合わせる煩わしさがない訳で、慣れれば楽です。


これは高校時代クラスメートとほとんど話さなかった私の実体験だから本当です。


学校にいくほかの意義をみつけてみましょう。
図書館の本でもいいし、先生と話すのにいくでもいい。
学食を楽しみにいくでもいい。
通勤の途中の中で楽しみな日課があってもいい。
小さなことでいいから行く意味をみつけてみると、学校に行くのが苦痛にならなくなってきます。


苦痛にしているのは、原因ではありません。
本人の気持ちでどうにでも行動は変わっていきます。



息子がどんな手紙を書いたかは分からずじまいでしたが、子供のひとことに考えさせられた話でした。

「子供①」どう書いたらいいのか?①


先日息子の中学校の卒業式でした。
私立の中高一貫校なので、卒業といってもほとんどが同じ学校にあがります。


ですが、辞める人もいて理由もいくつかあります。


中には他の学校を受験してそちらに変わる子もいますが、辞めなければならない理由が、いじめにあって、学校に来られなくなり出席日数が足りず進学対象から外れてしまうという場合もあります。


息子のクラスにも登校拒否児がいました。


一年間同じクラスにいながらほとんど学校に登校せず三学期は後ろの席だったのですが、結局一度も登校しませんでした。
彼は一年の時にいじめられてから学校に来られなくなったそうです。


先日帰宅すると、


どう書いたらいいか困るんだけど


といってきます。
何のことかと思うと、その一度も話したことないクラスメートに手紙を書けと担任にいわれたそうです。


私には先生の気持ちは分かります。


きっと何度も何度も登校するように促したのでしょう。
進学できなかったのが残念だったのでしょう。


だけど息子もクラスメートも困惑。


私も一瞬固まってしまいました。
そして絞り出したことばが、


このクラスで一緒に勉強できなかったけど、他の場所で頑張ってね。僕も頑張るよ!


ってどうかな?
とかなりワザとらしい感じの文章を話した訳ですが、素直な中学生は


俺だったら、だれ⁉ってヤツから手紙貰っても読まないで捨てるよ。
どうせこんなの書いたって読まないよ。


だいたいさー、嫌な思い出しかない学校辞めて新しいところで頑張るなら、なぜ嫌なこと思い出すようなもの読む?


いつも穏やかで優しい子なのですが、ちょっとこの先生の対応にご立腹のご様子。


確かに息子のいうことはこどもの目線で相手の気持ちに立って考えていることばだと受け取れました。


相手のことを思いやったら下手なことは書けないし、来ないからその子との思い出もない。書きようがない。


何を書いてもその子のこころを、失われた3年間が還るものはないような気がします。


(つづきはまた次回に)