「からだの声の翻訳家®️」鶴木マキ∬しあわせのシグナル∬

日常から不思議な話まで。リーディングってなに?ポジティブってどんな思考?なんてことをつぶやいてます。

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私のこと

無料公開リーディングの受付記事の前に私のことを書いておこうと思う。


「鶴木マキ」という名前はコースを卒業した者に、はすな先生がリーディングでみたビジョンを名前にしてくれる、そこでついた名だ。


そのやりとりは自分でも忘れないために以前ブログに書いてある。




さて、私のことだが、


笛野はすな先生の元に通うきっかけになったのは
先生の本「スピリチュアルリーディング」を読んだことだった。


そこから先生の当時のブログにたどり着き、悩みをカウンセリングして頂いた。


その時私のことをみて先生は


「全員にあなたの優しさを知って貰わなくてもいいと思っているのね。分かる人にだけわかればいいのね」


といわれた。
自分のことをことばで私に分かるように伝えてくれたのでびっくりしたのだった。
それは無意識で自分では知っている私だ。


どんなビジョンからそういったかも伝えてくれて今考えてもこのビジョンをこういう風に解釈できる先生は凄いと思う。


「膜の下に薔薇の花があるのだけど、上からはっきりとはみえないのよ」


薔薇は愛情を表すビジョンなのだと教えてくれた。それを人前に見えるようにしていない。
人づきあいの苦手な私自身に当てはまるものだった。
分かる人だけわかればいい、あえて自分から行かなくていい。
そうして今までずっと過ごして来ていた、


人前に出るのが苦手だった。目立つのが苦手だった。
苦手なことから逃げていたといってもいいのかもしれない。
それは未だにそんなところもあって、でもそれではよくないということも知っている。



最初のカウンセイリングから1年後もういちど先生のカウンセリングを受けた。
1年言われた通り取り組んで、ある時
「もうこれでいい」
という気持ちに自分がなったのだった。しかし現状は何も変化していなくて、なのになぜそんな気持ちになったのか自分でわからなかった。
だから聞きに行った。


最初先生は疑問に思って行った私の話を聞いて、


「この人は私が嫌いなのか?」


と思ったそうだ。
私はなぜそんな風に自分の気持ちが変わっていったのか分からなくて、
言われた通りしたのに変わらないじゃないかと言ったのだと思う。
これは疑問を口にしたのだけど、言われた側にすればクレームと受け取れるだろう。


それでもやっぱりビジョンももう1年前のことは続ける必要がないと言っていた。


状況が変わらなくても区切りがついたから気持ちが変わったのだ。


他者に対する愛情というものが当時の課題だった。


私が得たのは
「どんな態度でもそれは愛情に通じている」
と言うものだった。
「愛の反対は無関心」
これが私が1年かけて得た答えだった。


だが、今思えるのは当時の無関心が本当に愛情の反対語であったのか?ということだ。


もっと遠くからみてみればそれはまた違って見えてくる。


当時先生自身は、愛情はお互いに与え合うものだと言っていたと思う。だから天邪鬼の人の対応というのは誠に自分勝手なものだと思っていたのだと思う。


確かに向き合ってお互いに認め合う愛情が正しい愛情で、わざと気を引くために傷つくことをしていては辛くなる。それで分かってくれよというのは自己中心的なのだ。


話がそれてしまった。それについてまたいつか…。




2度目のカウンセリングの後すぐにリーディングを習い始めた。
私が習っていた時期、リーディングはコース別になっておらず単にできるようになった時点で卒業であった。




私は2年半かかって卒業した。



その時、魂の状態を見て貰ったのだが、私の魂は魔界から来たものであった。




魔界が良ければそこから出る必要がないけれど、その世界が嫌だから人間になった訳だ。
からだがない分、魔物の方が楽なのだろうと思う。
でも魔物の世界は弱肉強食なのだ。
考えるだけで恐ろしい。そこにいた「わたし」なのだろう。
自分でもなんとなく分からないわけでもない。


人間というのは体がある分不自由なのだ。次元だって普通は三次元から離れられない。


魔物は人間を操作できる。からだがない次元からこちらをみることができるのでこちらより次元は高い位置にあるのだろう。
だけど、魔界が嫌だから人間になったので次回生まれ変わるときそちらに戻らないようにしないとならない。自ら選んで人となったので努力しないとならない。


私の中には人を妬む気持ちがある。それが意識できるからそれを出さないでいる。


これがなくなったならどんなにいいのかと思う。


周りのことと自分を比べている時点でまだまだな私だ。




そんなわけで今修行している最中なのだがサボるとリーディングにも気持ちにも影響はてきめんに出る。




卒業後、すぐに魂を見て貰った時は黒い魂がアンコ玉を剥くようにぷりんときれいに剥けたそうである。




だけどそれから私は随分サボっていたと思う。




リーディングも当然よく見えず、全くみえなくて解釈どころではなかった。




そこでもうだめなんだろうと思った。
案の定その時点で魂をみて貰うと半分黒くなっていると言われた。




思い当たるので反省するしかない。
魔が好むものを私は知っている。






それは怠惰。




自分に対する甘い気持ちだ。




周りに何とかして貰おうと思う気持ちだ。






先生はそれも知っているから、大丈夫とは言わない。




落ちるか落ちないで上がってくるかは自分で決めるしかないのだ。




だから私は諦めないで苦手なことをしようとしている。




はじめてなことは誰でも不安だ。




上手くいかなかったらどうしょうと?と考えるからだ。




上手くいかなければ切り替えて他の道を探すしかない。




そのためになるべくリスクがかからない形から考えて始める。




今の私は考えて行動しょうとしている。




魔に囚われやすい自分と言うものを自覚するとなるべく引っ張られないように気を付けようと思える。




まだまだ不完全な私だがリーディングが無くなってしまわないために発信していくしかないと思っている。
自分がおかしいことを書いている人だと思われようがどうであろうがそんなことは関係がないことなのだ。
恥ずかしがっていてはリーディングのことを伝えることはできない。
自分がどうみられるか考えていては書けない世界の話を書いている。
知りたい人がみればいい、そんなブログでいいと思い始めている。


これが今の私だ。

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