別れ・思い出
午後3時ごろ、仕事中先輩が私の側にやってきて言った。
訃報が出ているから見て…。
慌てて開くとそこには新入社員から知っている後輩の名前が。
その人もすっかり中年の年齢になり、でも私たちは彼が新人のころ一緒に東京ディズニーランドに行った中であった。
ビックサンダーマウンテンが大好きで、何度も乗っていたっけ。
他の乗客もいたけど最前列で
ファイヤー!!
と叫びながら乗るその人を、私たちも大笑いで
ファイヤー!!
と真似して叫んだ思い出がある。
ここ二年ほど体調を壊していた。首に原因不明のしこりがあったそうで、色々検査しても分からなかったらしい。
病名がはっきりした時は手遅れであった。
遠く離れ年月がたっても私には元気なその人の面影しかない。
思い出の中のその人はいつも若くエネルギーに溢れている。
人の一生はままならない。
生まれる不思議と、同じ分量で死ぬ時も不思議だ。
ほんの一時関わった彼の人であるが、私の中ではその人との時間軸は25年前のままだ。
人の生死は私たちのあずかり知らぬところで決められている。
もういいよ、と言われるまでは私たちはこの世界に留まらなければならない。
逆に言えば、居たくても、もう今回は終わりですと言われれば留まることができない。
死とはなんだろうか?改めて考えてみるとこうして自分の主張が出来なくなることなのだと。意識が肉体から離れるから主張できなくなる。
もういいとは、もう今は主張しなくていいと言われることなのではないか?
肉体から離れた彼の人の意識と会うためにはどうすればいいのか?
それには彼ならどうだろう?とその立場に立って考えてみる、するときっと……という気持ちになる。
自分自身のことに頓着がなく、シャイでまじめでやさしい人だった。
自分の亡くなったことで、それぞれの思い出にくれているのだと知ったらきっとはにかんで恥ずかしがるのではないだろうか。
皆にありがとう、と言ってくれているのではないだろうか?
そんな風に思ったら胸にあたたかいものが込み上げてきた。