「からだの声の翻訳家®️」鶴木マキ∬しあわせのシグナル∬

日常から不思議な話まで。リーディングってなに?ポジティブってどんな思考?なんてことをつぶやいてます。

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林遣都くん見たさでみた「花芯」についての続き

本日リーディングのレッスンに行き、はすな先生と「花芯」の話をした。
(レッスンより雑談が長くなるのが私の悪い癖なんだが、先生にはいつも本当にありがたいと思っている)


越智と園子の箱根の夜から二人の関係はズレて行った点を私にはよく理解が出来なかったが、先生に話して納得がいった。


園子は初めての越智との逢瀬のあと、「深淵を覗いてしまった」といい、自分の恋は終わってしまったと感じたのだけど、越智の方はそこからふたりの関係が始まっていると思っている。
その差がなんなのか?ということがよく分からなかったが、先生は
「わかるわー」
と……。


そこに至るまでの園子の感情は、一番高い位置に越智をおいて、ほぼ神聖化していたのだったが、実際に肌を重ねることで現実まで引き下げた訳だと先生はいう。
そうして気持が冷めたのだと。


即物的にいえば、「良くなかった」ということになるけれど、それでも二人の関係は惰性で続く。
カラダだけじゃないのよってとこだろうか?
でもまぁ、会わない合間に園子は一度の約束の男たちを持つわけで、そのことは日常生活に繋がる「情」というものがいらない。「性」というものを日常から切り離すためにわざと一度きりにしてしまう、そう意味なのだろうな先生との話で気がつきました。


「衝動」「欲動」これらは日常から離れ、背徳の香りが漂う。
本来日常とつながっている私達はこの日常の鎖が強くてあちらがわ(非日常)にいくことができない。
園子の様に軽々と飛んでいけるというのはある意味羨ましくもある(あと5年ほど若ければその気持ちも起きるかもしれないなぁ。今はそんな疲れそうなことめんどくさくてできねーわと思ってしまう)。
しかし日常と切り離して行けるようになるには家族と繋がらない生き方、ひとりで歩いて行く自信がないと成立していかない様に思う。


それはしかし、女性らしい考え方で、男性一般は越智の考え方なのだろう。


からだを重ねる=すべてを知る。これから現実が始まる。安心して次を迎えることが出来る。そういう分かり切った安定した予定調和的なことが男性は大好きだろう。


なんとつまらない。そこにはときめきがなくなるではないか?
男性はときめきより安定を求める。だから長い間に関係を持った女を捨てることができない(越智と未亡人の関係)。
なるほどやっと作品が何を言いたいか分かった様に思う。

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