ロス期が来てます‼から悩みの解決について
今の気分は今昔物語の平中だな。
まぁ、変な趣味があるわけではない。
嫌いになりたくて香木かじる訳ではない(何が言いたいの?か気になる方は今昔物語か芥川の「好色」でも検索くだされ)
たばかったな、と狂うわけにはいきませんが、寝てもされてもドラマに思いを馳せる。
この現象。私だけではありません。
Twitterにはごまんといる…、と思ってます。
なんというか、ドラマ終了したのに抜けきれない。
色々とキャラクターのセリフのないところでの気持ちを考えさせられたドラマなのでの、見ていながら思いいれが強すぎたのだと思う。
いち視聴者がこれだけ見いるということは、演者はもっと凄い集中力で役柄になりきってるんだろうな。(って書きながら主演の田中圭はそれほど作り込んでいないらしい。どちらかと言えば、周囲から引き出して貰って演じた様子。いつも演技が自然なのはそういうこと?吉田鋼太郎は田中圭の演技を大変評価している。そして林遣都にたいしても、静かな佇まいができて、その真逆なこともできるというようなことも言っており、役者として評価している。最初から見直すと分かるが、だんだんとキャラクターが出来上がっていっているように思う。ということはやっぱり同じメンバーで作ったら次はもっと面白いものになるのじゃないだろうか⁉)
まぁ。幸せな終わりで幕をとじて、急遽Blu-ray、DVD化、公式フォトブック、LINEスタンプとグッズ作成にかかったテレ朝。
夜の枠の番組は面白いと前から思ってたけど。
近頃、マンガや小説原作作品が多い中、原作がないから最後はどうなるかわからないところがよかったです。
うっかり我慢できなくてググっても先は知らないわけだから。
テレビ番組の載っている週刊紙に予告はかかれているものの、やはり決定的な映像を想像するのは難しい。
そして、今回のドラマにハマった私たち視聴者は、製作されたもの以上に創造力を働かせる。
これはひとえに原作がないからこそなのだと思う。
人間は創造力の塊だなぁと思い、想像だけでかなりこころのあり方が変わる。
これはよいことも悪いこともだと思う。
ということは、自分はどちらの傾向にあるかと考える指針にもなる。
私は自分が傷つかないために保険をかけたような想像をするタイプだ。
本当はどんなことが来ても大丈夫。ありのままを受け入れられる、というのが何よりも素晴らしいのだけど。
全く想像の上を行く現実に直面したとき、ツラいことだとへこむことがある。
だけどへこんでいてもなにも変わらない。
予防線を張って「やっぱりな」となったとする。
やっぱりは100%満足じゃないよね、悔いが残るよね。
ならば後悔しないほうがいい。
さて、どうやって悔いなく過ごせるのかその考え方が重要。
できれば楽しめたなら最高。
悩みの原因は変わらない。
変わりたいなら自分を変えろ、だ。
悩んでいる人の何が悩みから遠くならないかと言えば、他力だからだと思っている。
誰かに頼ろうとすると自分の思うようにならないとまた辛くなる。
辛くしているのは自分自身でしかない。
悩みたくないと本気で思うなら、大変だと思っていても行動しないとならない。
嫌なことから逃げて、助けてというのは全くもって自己中心的な考え方だ。
そうは言ってもね、あなたに私の辛さなんてわからないでしょ⁉
というかもしれない。
じゃあ、あなたには私が辛いことがなくて生きていると思うのか⁉というところです。
みんなそれぞれ悩みは抱えている。
けどそれにどう取り組んで行くかいかないかの違いなのだと思う。
その場所に行くのが嫌なら、その場所に行く目的をひとつもつ。なんでもいい楽しいと思えること、嬉しいと思えること、ほんのすこしでいいから作る。
そして実際行ってみて、嫌だと思うことをやってみると案外とできたりする。それは自分の自信になる。
そしてその場所が大丈夫になる。
いきなりハードルを高くする必要はない。
少しづつ前に進んでいけばいい。
そして積み重ねていくことが大切。
私は職場の人間関係が嫌(もちろん全部ではない)。
でも言った所で変わらない。変わらないからこちらが変わる。
嫌いな人には丁寧に話しかける。本当は話かけたくなくともそうもいかないのであえて丁寧に話しかける。
それを繰り返していたら、少し風当たりが弱まってきたようだ。(気のせいか?)
仲よくする必要はないけど、丁寧に接して相手の口調が恥ずかしいなと思わせるようにする。
こうして経験を積んで自分の感情で動いてはならないことも学んでこられた。
言えば倍になり返ってくることから、我慢して自分に対する不条理にも耐えてきたが、それは言わないと相手に通じないよ、と先輩に言われ、言うことにした。
そしたら、課長が私に丁寧に教えてくれるようになった。
先輩のいう通りだと思った。
これからは自分に対しておかしいなと思うことは後からでも言おうと思うようになった。
これもひとつ、経験できた結果だ。