愛のカタチ
スキマスイッチ 「Revival」 full ドラマ おっさんずラブ 主題歌
(↑スキマスイッチこの映像で大丈夫なのか?ドラマみてる人ならいいけど……)
毎週楽しみにしているドラマ。
なんだろー、おっさんだし、男同士なんで、ありえなーいといいながら、結構男女に置き換えて考えたら誠実な恋愛ドラマなんだと思う。
上司の吉田鋼太郎演ずる黒澤武蔵は妻がいるが、妻と別れるからと主人公(田中圭)春田創一に時間をくれという。
(結婚記念日に贈った薔薇の花束より大きな花束渡すのもなんだかなぁ。私のだんながやったらかなりのショックだな。男が好きだったら張り合いようがないし。いや、ないなー。敵うわけないし。まず性別違いから)
一方、同居中の牧凌太(林遣都)の方は、春田が自分に対して仲の良い後輩としか思っていないと知っていながら1話目にカミングアウト。
だけど、そりゃいかんということが分かっているから「冗談だ」と言ってみる。
しかし上司黒澤の手作り弁当を食べている場面に我慢できなくなって自分の気持ちを言ってしまう。
その日の晩には「何もかも違うのに一緒に住むことなんてできない」と同居宅から出ていくことを宣言。
この時の春田の言い分にひどいな思う。
一緒にいると辛いから去るという牧に、友達として必要だからいてくれないかと、
それって都合よすぎない?自分のことしか考えてない。
牧はきちんとしていたのに。
冗談だといって一度は自分の気持ちに蓋をしてルームシェアをしようとしたけれど、もう絶対にあんなことするな(1話目のキスのこと)といわれ、無理だと悟ったから出ていくというと、止める。
「ズルいですよ」って牧はいうけどマジでそう思う。
自分が他から愛されてると思うと人はなんでも赦されると思うのだろうか?
そんな利己的なやつを好きになって傷ついてそれでも離れられないとしたらそれは執着になる。
「私がいないとダメだ」とか「お前がいないとダメだ」と言う言葉は重い。
それは相手のことを考えていない。
自己中心的な愛のカタチは歪んでいる。いつか破たんする。
それを人は経験して知ることになる。
本当の愛のカタチ。それはお互いを思いやることが出来てこそ。
相手がほほ笑んでいることが幸せだと思えればそれが愛。
去ろうとしている牧は相手のことを考えているのだと思う。
自分の気持ちには嘘がつけないし、だからといって相手にそれを押し付けては相手はほほ笑んでいられなくなるだろう。
主人公はクズだけど、そのクズに魅力を感じる男たちというのか。
コメディなので笑えるんだけど、吉田鋼太郎の演技が上手すぎて怖い。(春田へのボディタッチが凄い)
黒澤は乙女上司だから「はるたんがすきすき」って気持ちだけで、成熟した愛情からは程遠い(見た目のギャップとで笑え、たまに乙女、通常上司の顔の使い分けが見事)。
林遣都くんもどんな役もこなせてしまうので(この人のヤンキーの役もがらっと変わってかっこいい。役柄で物凄く雰囲気を変える人)この話がただのコメディだけじゃなくて恋愛について考えさせるものになっている気がする。
田中圭が主役のはずなんだけど、主役を飲み込む脇ふたり。
男女だとすぐ深い関係になってしまう昨今。
プラトニックに近くするとこんな形にしかならないのだろうか?
って思いながら第3話目をこれがアップされるころには楽しくみている(当日の番組は終了しているころ)私だろう。