「からだの声の翻訳家®️」鶴木マキ∬しあわせのシグナル∬

日常から不思議な話まで。リーディングってなに?ポジティブってどんな思考?なんてことをつぶやいてます。

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父のはなし

父が入院している。


転倒して頭を打った。


これで三度同じことをしている。


頭を強く打つとは相当神様に怒られているのにまだ気がつかないということだろう。


私たちの生死は人間の預かり知らぬところで決められている。


父が何度も同じことをしては助かっているとは生かされていると言える。


三度目の今回も、いつものように酔って帰宅して転倒して、タクシーの運転手と母に担がれて玄関に入った。そして朝までそのままだった。


朝玄関に寝たままだった父。
母はとりあえず寒いだろうからと上掛けをかけたまま、それ以上担げないので休んだらしい。


(母自身はこの時の父を運転手と担いだことで腰の骨が潰れたそうで、手術となった。(それは後日談たが))


普通なら朝になればそろそろ動き出すが、動かないので様子がおかしいからと救急車に運ばれたが、やはり頭の中で出血をおこしていた。


硬膜外血腫というのは多いのか、私の職場の方の父上も同じことで二度ほど入院したと言っていた。
年寄りは歩行が思っている以上に不自由なのだと思う。
その方の父上はその後杖をついているそうだが今でも自宅で過しているという。


話を父に戻そう。
今回は緊急手術となりその後、入院中に誤嚥性肺炎になり、やっと一命をとり止めた。
誤嚥性肺炎はこれで二度目だが、これも年を取って飲み込み機能が悪くなっているからだ。


今回の硬膜外血腫でのけがでは、からだに麻痺は残らないが、どうやら頭の方はおかしくなっているように思われる。
おかしなことは以前この症状になった時もあったが、入院してひと月経つ頃には以前と同じに戻っていた。
だが今回はもうひと月以上入院しているが、相変わらず会話がおかしいままだ。


この病院ではもう治療するところはないので、次はリハビリ先の病院を探す事となり、先日母と妹と一日かけて3か所ほどのリハビリ病院を見てきた。


母がこの病院がいいというのでそこにしたが、腰が悪い母が平日ひとりで病院を訪れるとは思えない(電車やバスで行くとなるととても本数が少なく遠い)。


父は目も悪いのでリハビリも大変ではないだろうか?
みえない所でじっとしていてもつまらないことだろうし、ますますボーっとしてしまったらどうしようか?と考えてしまう。


話し相手でもできたらいいのだが。


リハビリ病院の話では症状固定と見なされれば、最長5~6か月でもひと月ほどで出されるという。
そういえば、前回はひと月で家に帰宅したっけ。
家に帰れない場合はまた転院先を探さなくてはならない。


からだの機能回復がどこまでいくのか?
認知機能の回復もどこまで行くのかで、自宅に帰れるかまた違う施設に預かってもらうか変わってくる。



かなりつじつまが合わないので正直今回は帰宅できないのではないかと思う。



鼻からチューブで栄養を取っていたので更に痩せ細り、骸骨のようになっていた。


それでも人は生きているのだなと父をみて思ったが、いきなり今動かなくなったら、かなり悲しいのだと感じた。


本人は状況を今一つ飲み込めていず、悲しそうでないのが救いなのかもしれない。


このままどこまで回復し、どこに居を落ち着けるのか?考えると悲しい。


認知機能が低下すると、本人は死が近くにあることに気がつかなくなるのも知れない。


それはある意味で幸福なのかもしれない。


私たち子供から見ると
別れがそう遠くないのかもしれない予感を感じながら、
それでもふれあう平和な時間を与えてくれたのかもしれない。


与えられた時間がどれだけかは分からないが、
何かしらを語り合わないとならないのかもしれない。
例えそれが噛み合わない話であったとしても。


いつの日か父とのことを思い出すために。

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