「からだの声の翻訳家®️」鶴木マキ∬しあわせのシグナル∬

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欲の力(執着とは?)②




執着してしまうのは、他者から認めてほしい。
認めて欲しいのに、自分が思う通りに、認めてもらえない。
自分の基準が他者に認められることに
なってしまうのが問題なのだ。




自分がないと、人からみられる自分。
人がいいと思う自分。
それらを自分の中の基準にする。
そしてそれを無意識に演じている。
でも、それは妄想かもしれない。


本当に他者が自分にそんな期待をしているのか?
それは実際に確認しない限り
はっきりしないことだ。



そうしていると、
いつもこの自分で良いのか分からなくて
不安でいることになる。




自分で自分を認めるとは




良い自分も、嫌な自分も
自分自身で「これが私だ」と受け入れること。
けれどそのままではなく、
そこから良い方向に成長して
いこうと努力する姿が
なければ、ただ自分に甘い人ということだろう。





怠惰な自分をただす
自分もいないと。



怠惰でいること。それもまた、自己中心的だといっていい。
言い訳をしてその場から逃げることだから。



そういう人はなにか起きると、


私だけ不幸
という被害者意識になりやすい。




自分を受け入れるときは、
自分に厳しくなくてはならない。

そうでないと、
ぐずぐずとなって流されていく
甘い人間になってしまう。
(かくいう私も、分かっていながら自分に甘い。
できない言い訳を良くしている)




出来ない言い訳、条件付きの中でしかしない努力。
そういうものをやめて初めて、
自分自身と向き合えることになる。


自分の全てを受け容れることができれば、
自分が好きになれる。条件付きの中でなく
受け容れられれば他者と自分を
同じように愛せるようになる。


すると、誰かに頼ろうと思わないだろう。


執着はただ自分の都合のいいように
頼っている甘えでしかない。


まぁ、
執着しているといいことはない。
自分に厳しくするということは
自分に対して客観的でいるしかない。


客観的であれば冷静に自分を
みることが出来るから
良い面も悪い面も
他者をみるときと同じように
みることになる。


どうしていけるか?
受け入れられるか?
受け入れられないならどう変えていけるか?
考えることができる。
そしてそれを行動に出来れば
人は自分のなりたい自分に
近づいていくのではないだろうか?


その時、何かに依存する執着
はなくなっていると思うのだ。

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