神様はいないのか?②(からだの声翻訳の話)
(前回の続きです)
私は永く肩凝りが酷かった。
リーディングを習いながら、信じながらも
顔を出さず、匿名でしかブログも書いていなかった。
それは信じない人が大半で
どうせこんなこと書いたって
誰も興味をも示さないと思っていたからだ。
だから肩凝りで注意を促されていた。
腰の痛みで注意をされていた。
肩凝りは「そのやり方は間違っているよ」ということだし、
腰も真っすぐの姿勢が痛くない。
「その姿勢のような態度でいなさい(=堂々としていなさい)」
と言うことだ。
今、こうして自分をだしブログも書いている。
正しいことをしているとき、からだは不調にならない。
無意識にストレスが無くなったと言うのもあるかもしれない。
では、その無意識とはなんなのか?
自分の意識していない自分がいる。
無意識とは意識より更に深いところにあるとされる。
個人の無意識だけではなく、もっと深い場所で私たちは繋がっている。
集団の無意識。
そこを通して他者を感じ取る能力があるのではなかろうか。
無意識は生きている人間だけではなく全てと繋がっているとしたら。
大元はきっと全てを作ったものに繋がってはいないだろうか?
私はそれを神様だと思うのだ。
どこにあるのかわからないその存在はきっといる。
全てのもとが私たちの無意識を通して教えてくれる。
無意識からからだの不調で教えられている。
間違えているとただされている。
注意が分かり、改めれば症状は良くなる。
自分が体験しているから分かるのだ。
きっと同じような人はいるはずだ。
薬が病気を治し切るとは思わない人もいるだろう。
からだの部位の意味を知り、自分の意識を改めることで、症状が緩和したなら。
片頭痛も、鼻炎も薬を飲まず自分の態度と考え方を変えることで緩和するとしたら?
とても健康的でよいことのように思う。
理解したいと思えばからだの声翻訳を習えばいい。
きっと目からウロコのような話が飛び出す!
あなたの気になる症状も、私の師匠に補講で私が聞くことができます。
でもきっととても面白くて自分のこれからに繫がる講座だと思います。
これを習ってまたこれを誰かに教えるということが出来るからだ。
たった半年間、月に一度の講座でいいのだもの。
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