悩みの源

悩みがない人なんていない!!でも悩まない方法ってわからないから悩むんです。その悩みの源考えていきましょう!

50代、どう生きるか?③


(前回の記事からの続きです。)


これからは、「老いる」ことを意識して
生きていくのではないかと思っている。


老いていくというとマイナスに囚われがちだが
老いていかなければ死ねないし、
死に近づいていくのが当たり前なのだから
本来は自然なのだと思う。


だけど、人間は欲張りだから
知識がつくのと反比例して
だんだんとからだが思うように
動かなくなると思うと
それをキープしようと思う。


元気でいることは大切。
だけど、必要以上に無理をしては
いけない。
からだが劣化していくのは仕方のないこと。


死ねないからだなら「銀河鉄道999」のメーテルの星に
いかないとならない。


SFの世界がいつか本当になったとしたら、
世の中ひとで溢れかえる。


からだが弱っていくということで、
実はとても大切な学びがある。


それは、自分でできなくなったことを、
誰かに頼るということを
しないとならなくなる。


やって貰うことで、
感謝の気持ちが起きる。


自分でできれば
思い通りにやりたいこと、いいたいことを言って
相手のことより自分の主張をするが、
人にお願いすることで、
相手をおもう気持ちが生まれる。


謙虚になる。こうべを垂れる姿が老人の姿なら、
そういう態度でいないとならないと
からだが本人に教えているといえる。


老いていかないと掴めない感情だ。


年をとったら謙虚になる。



50代、どう生きるか?②



50代からは
どう老いていくか?
を考えはじめている。


人から愛されるには
という、相手主体の
ものの見方はしなくなった。


老いのうしろには死が同席している。


死とは人が生まれたときから
いつも一緒にいるもの。


いつもは黒子にように存在を潜めているが、
必ず誰の後ろにもついているもの。


老いを意識するようになってから、たまに表舞台に登場している。



人間生まれたからにはいつか死んでいく。




いつかが分かれば
生涯設計もしっかりできるのだろうが、
「いつか」は生きている限り多分誰にも分からない。




エンド部分が分かれば
無駄もなく計画が立てられるし
悩みもなくなるだろう。




だって悩んでいる暇が惜しくなるだろう。




生きることに懸命にならないといられなくなるだろう。




若さなんて、実は老化に比べれば、
死に比べれば弱いものだと思う。




人は死んでいくために必死に今を生きるのだと思う。




死を意識しながら生きれば、
今こうしていられることに
感謝するだろう。
生かされているのだと思うと
こうしてここにいることが
まるで奇跡的なことと
思えてくる。


気がつけるようになるのが、
半世紀を過ぎてからのこと。


人は自ら生きるのではなく
生かされている存在なのだ。


老いの話が出てこない( ;∀;)


(続きを次回に)




50代、どう生きるか?①

オンナとして半世紀生きてきて思うことがある。


30代40代のころは、
他者から見られる自分
というものを意識してきたと思う。


女性としてどのくらいの価値観があるか、
需要があるかということで、


きっと多くの女性が意識的にでも
無意識的にでも
思っていることではないだろうか?



不思議なことに
50代になってくると
そう言うものに重きを置かない自分が存在する。


なぜなのだろう?
ホルモンバランスが崩れてくるせいだろうか?


諦めというよりも
他に気持ちが行くので、
女性性というものに執着しなくなってきた。


だからといって
身だしなみに構わなくなるということではなく
ますます髪型や
身に着けるものが
似合う・似合わないということがはっきりしてきて
気を付けなければ
年齢に対してちぐはぐな外見に
なってしまう。


だからそういう意味では
違和感のあるものは選ばなくなった。
昔は少し個性的なくらいが
似合っていたし、色のカラフルなものを
選ぶ方が自分らしかった。


それに、美しく着こなせていた。
肌の美しさがなくなり、
皺が刻まれる外見になってから
どこか、若さで着ていた部分がある服たちは
私から離れて行った。


今の年代で着て美しいもの達は
シンプルなものが多い。


それは、自身がシンプルになってきたからなのでは
ないだろうか?
そんな風に思う。


シンプルにこれからのことを考えている。


自分という主体が、愛し・愛されるということに
重きを置いていた時代は
通り越し、今は


どう老いていくか?について考えている。
(つづきはまた次回に)