孤立化しているのは「練習不足」のせいなのではないだろうか?
私の尊敬する随筆家の山本先生のブログ。
今回はこどもの頃は自然と周囲の社会へ溶け込む導線があって、
あいさつも会話を自然としていたのに今の世の中にはそういう
手段がなくなり、大人も子供も孤立してしまっている。
こういう時間が長く続いていると、ひとと繋がる手立てがとっさに出来ない。
思いつかないだろう。SNSでは直ぐに繋がっても実際の人間と繋がることが
とても難しくなっている。
これは「練習不足」のせいだと言っている。
現実、会社への通勤でも
ビルの内部にいる時は知らない人にも挨拶して通り過ぎるのに、
会社への通勤時の道ではすれ違っても追い抜かれても挨拶しない。
外に一歩でも出たとたん知らんぷりとなる。
会社に勤めだしたばかりの頃はまだ通勤時
すれ違った社内の人には声を掛けて挨拶していた。
それがいつか黙礼になり、そのうち目を逸らして気がつかない振りになり
更に黙って抜かしていく風に変わった。
そしてその違和感を今や当たり前と受け取るようになっている自分がいる。
日々凶悪な事件が起きていくのは、知っていても
一歩自分のテリトリーから外れると無関心になる世の中。
そしてそれが当たり前だと思っているから人は相談する人もなく孤立し孤独化
していくのかもしれない。
いつの間にか周囲の世話焼きオバサンがいなくなってしまった。
色々な話に顔を突っ込み噂もするが、悩みにものる。
それが今では、悩みはその専門の相談室に持って行かれる。
悩みが沢山集まり過ぎるとそこで働く人々の手に負えなくなくなる。
悩みを抱えて孤独化するのも、悩みを受け持ちすぎてパンパンになるのも
しんどい話だろう。そして色々なことに余裕がない人たちが一番孤立化していく。
子供への暴力や、ながい間の引きこもり。年寄りの孤独死。老老介護。
見て見ぬ振りをして過ごしてきているのではないだろうか?
とっさに手が出ない私。
私もまた「練習不足」のせいだ。