超えていくということ
職場で私の今期の目標が決まった。
私の属する関東支店は東北と中部の業務も一緒に手伝っているのだが、この度中部支店の業務を携わっている女性が辞めることになった。
彼女の辞める理由は
職場のいじめにあったから。
それを聞いて、まぁ、これは彼女側からみた感じ方なんだろうな、と思った。
いじめていたといわれるのは同僚で、
いじめていた側も両方知っているので、
どっちの言い分も多分彼女たち側からみた事実なのだろう。
なんにしても、片方は自分はわがままを言ってごねて、上司にいうことを聞いてもらえるのよーって人に吹聴するタイプで、周囲の同僚がそれを聞けば面白くないだろう。
もう片方は、自分の権利を主張することで、周囲にはごり押しをするタイプ。
こちらの都合より自分の都合優先。
これで仲良くいい職場環境を作れといっても無理だろう。
でもそれを許したのは誰だ?と思う。
結局上司たちが、彼女らがモンスター化する前にブレーキをかける力がなかったのだと私は思っている。
自分が悪く思われたくない、と思うと相手が嫌だということを言えない。
それは正しくない、そんな風に協調性がないことでは良くない。
人間関係も仕事の中に入っているということを言える人たちがいないから悪化したのではないだろうか?
中部の状況を聞きながら、私の上司が言う。
今の社長は、
文句ばかりいう人には他のもっといい会社にどんどん転職してもらえ
っていう考え方だ
という。
その考え方は、早期退職していくメンバーや動向を見ていて読み取れていた。
今更聞かないでも分かるが、中部の状況もきっと社長は読んでいたのだと思う。
私のことだってきっとそうだと思う。
今までと何も互換性がない=即戦力になれない
つまりは、長い年月働いていれば、その職位分の仕事はできない
ととられる。
そうなると今の人事制度は降格させるから自然とそのようにするのだろう。
私達万年平社員はいかに年月同じ仕事をするかで、慣れで覚えていく。
半ばいらないとみなされていれば、変えられる可能性が出てくる。
いらないと言われるのは
使いずらい・仕事ができない
の片方か両方。
さて、そこまで分かれば、周囲と上手くやっていく、一日も早く新しい仕事も覚えていく、これしかないだろう。
なるべく我を出さない、なるべく教える人が教えやすいようにしていく
ということか。
そして今のやっているルーチンを完璧にしていくということしかないのだろうな。
ハードルはどんどん高くなるけれど、それは超えて行かないとならないもの。
失敗したら繰り返さない様に考えながら進んで行かないとならない。
職場の修行は人生の修行でもある。
ハードルを越えていく先にはきっと何か待っている。
その何かはみえない。でもその時はきっと分かる。
ここまできたからやりつくしたと思えればそれが卒業。
そこまでやれないと途中では終われないと感じている。
職場を辞めたいと思っている人にいえることは、辛い時を超えてから言え
ということだ。
辛いのは自分の思い通りにならないから。だったら思い通りにするためには自分が出来ることは何かを考えることが大切なのだ。
決して駄々をこねろとはいっていない。ヨイショしろとも言わない。
他者がよくやっていると認めるような自分になるということだ。
自分の評価は自分でするものではない。他者がする評価が真実なのだと思うことだ。