「からだの声の翻訳家®️」鶴木マキ∬しあわせのシグナル∬

日常から不思議な話まで。リーディングってなに?ポジティブってどんな思考?なんてことをつぶやいてます。

PVアクセスランキング にほんブログ村




エッセイ・随筆ランキング

欲の力(執着とは?)①


執着が悩みの原因。


欲と言うものは
生きる原動力となっていると
いってもいいかもしれない。


だけど、その原動力は
きれいなものばかりではなくて、
どちらかと言えば
ドロドロとしたもの
なのだろう。


もっとも、欲がなければ
文明も種の保存もなかった訳で
ある程度の欲というものは
必要なのだろう。


でもそれに固執してしまうから
苦しい気持ちや、
相手に対しての迷惑になる。


それであれば執着を無くせば
悩まなくなる訳で
執着の大半は何かと言えば
自分の思い通りにならないから
起きること。


ならば思い通りにならなくてもよいと
思えれば、執着しなくなり
悩むこともなくなる訳だ。


と、ここまで書いて
きっとこの記事を読んでる人は


それが出来れば誰も悩まねーよ❗


と思っているのに違いない。


じゃあ、執着がなぜ起きるか考えてみよう。



例えばストーカー。
あれは執着の塊。
その根底には
自分を認めてほしい


という気持ちがある。


だからストーカー被害にあったら、
徹底的に無視するしかない。
快、不快を態度に表せば
ストーカーは自分の存在を認めていると
感じて、行為はエスカレートしていく。


裏を返せば、相手がいないと
自分の存在理由がないと
思うほどになっているのが
ストーカー。


つまり「自分がない」ということだろう。


「自分がない」のに、
自己中心的な行動をするとは
これいかに?

ってとこだが


完全な妄想に生きていると
いっていいのではないだろうか⁉


つまり、自分がこうしたら相手は喜ぶはず


という思い込み。
やったことに対して、
喜んでもらえると言う
見返りを期待している


相手と自分の思いが違うことを
受け入れることが出来れば
ストーカーにはならない。


そもそも、相手を尊重する気持ちがあれば
見返りを求めない。
逆に言えば「やってあげた」
という気持ちにもならない。はず。


例えば相手に協力することは
相手に喜んでもらいたいから、
認めてもらいたいから、
ではなくて、
自分のできることだからやる。
自分のために苦労(経験)してみる、
なのだと思う。


誰かに見返りを期待してやる行為は
見返りがなかったとき
落胆する。
そして見返りを期待している(無意識にでも)
人というのは、分かるものなのだ。


ねぇ、あれ気がついた?
この間のあれ、どうだった?


と確認をしたりして。


相手に気を使わせる人と思われる。


それをみると、ああなるまいと
思う。良い反面教師だ。


そのようなことばを聞くと、
言わないようにしよう
気がつかせてくれてありがとう、
と思う。


自分にとって不快に感じることをされたら、
そう思って切り抜けている。


イラつくと、良いことがない。


話がすっかり違う方向に行ってしまう。


執着の話だった。


(長いから続きは次回へ)

×

非ログインユーザーとして返信する