客観視は我を捨て視点を変えること
「自分を客観視するのは本当に難しいことだと思っていました。
だけどそれは言われたことについて自分の感想を入れることなくそのままを受けとることなんだろうなと今更ながら思いました。
もう頭では分かっているのですが、人の感情と言うのは厄介なもので、勝手に相手の言葉に反応してしまいます。
それが人間らしさと言えばそうなんですけど、時に自分に負担をかけたり、思い込みになってしまったり。
どうして思い込むといい風に余り転ばないかといえば、完全に自己中心的な視点でみているから、傷つかないように悪くいってみたり、楽天的に考えてその通りにならなくて悔やんだり。
とても疲れることをしていると思います。
無駄なパワーを使うから疲れる。
客観視出来るとこういうものに騙されなくなります。」
こんなことを3か月前にメモ書きしていた。
客観視するのは感情の入らないところからその状況をみること。
つまりは全く視点の違う位置から物事をみることなんだとわかりました。
その方が説明もスッキリする。
四次元から三次元をみることなのだと言うこと。
自分をも含めて違う視点から物事を映像として受けとる力があれば、状況が客観的に受け取れます。
そして同時にそれぞれの感じていることもその場で分かれば一番いい。
もし状況とそれぞれの感じ方が同時に分かれば、どうやって行動を起こしたらいいのかもわかる。
自分が中心で進めることができる。
そんなの無理じゃないか?と思うでしょうか、きっとはすな先生のいう四次元の思考とはそういうものなのではないかと思います。
しかしそれは、自分の我が強すぎると、自分から抜けられないから難しい。
その様に思います。
我を捨てると言うことは、もっと上の次元に行くということなのでしょう。