「からだの声の翻訳家®️」鶴木マキ∬しあわせのシグナル∬

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感覚の問題?




今年もある神社にお参りに行ってきました。


永きにわたり行くことがなかったが、やっとゆるされて行けるようになった気がした。


ただ、許可がおりたから来ているのだと思っているのは自分だけの話で、人の思い込みというのはこんな風に感じることなのだとも思った。


行く気持ちになったから来れた。

その気持ちが、自分の行いとは関係ないと言うこと。


毎年行っているからまた行こうという惰性だけで来ていると言うことも考えられ、特別な理由は何もないのかもしれない。

人それぞれ思うところは色々ある。


感覚の問題なのだなと思った。



その感覚の問題、気の持ち方の問題だと思っていて、そればかりではないだろうと逆に思ったことが、今回神社に行く際、寒いだろうからとニットの帽子を被っていった。


だが移動の度に帽子を取るとその先ざきでその帽子を忘れる。


しかし忘れる度に同行者に


忘れているよ


と渡される。

渡されてはじめて帽子の存在を思い出す。


こんなことを何度も繰り返すと、ただうっかりなのだという気持ちだけでなく何かしらの警告があるのではなかろうか?と思うのだ。


うっかりするな、

と言うには簡単すぎる、もっと違う


同じものを忘れてしまうのは、当たり前の何かを見落としているのではないだろうか?


自ら気がついてあっと反省するのではなく

人から渡されて、そうだった、助かった

と思う時、感謝の念が生まれるのだけど、


当たり前のことを見落とす私に気がつかせてくれる存在にありがたい、こんなに気がつかされるようにしてくれる。


つまりは周囲に感謝して謙虚でいなくてはならないという現れではないだろうか⁉️


私に足りないから気がつかせるためにこの度こんな形で繰り返されたのかもしれない。


ふとそんな風に思った。


これもまた感覚の問題であるのだろうか⁉️

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