今日一日をどう生きるか?
死について考える。
というより、生まれたことを考えるとどうしても死についても考えないとならなくなる。
死んでしまいたいと思う人がいる。
なぜ死にたいかといえば、自分の思う通りに行かないからなのではないかと思う。
だけどなんでも自分の思う通りにいってしまう世界なら生きていたいかといえば、なんら面白味もないだろう。
邪魔な奴は抹殺され、欲しいものはなんでも手に入る。
死んでしまったものも自分が望めば生きかえれば?
そんな自己中心的な世の中になってしまっては、おのれの人としての成長はいったいどこにあるのだろうか?
他者は自分に従うものであり、他者の命が軽んじられていたら、思いやりの気持ちも他者の痛みも分からない。
世界が自分一人だけのためにあるということなら、他者は道具にすぎず自分一人で生きている世界と変わらない。
そんな世界は孤独でしかない。
それこそ生きているのか死んでいるのかも分からない世界だろう。
それでは、死とはなにかと言えば、その前に生きることが前提であっての死であろう。
生きたいから、生きているから死について考えるのだ。
死の前段階の生きるということをきちんとしておくと死ぬ覚悟というものが出来るのではないだろうか?
人はいつか必ず一度死ぬ。
その時に後悔しないように日々を精一杯生きることをしたいと思う。
今日が最後だと思いながら生きることは、今日しようとすることを明日に持ち越さないことだ。
であれば、今日一日で何ができるか、どこまでできるかきちんと考えて過ごさないとならないだろう。
ということは、なんとなく、とかボーっと生きてはいられない。
それを日々繰り返すことで月日を重ねていく。
明日が最後かもしれないが、それでももっと先の未来の為に今日できることを精一杯する。目標通り過ごす。
そうやって日々を過ごしていくと、一日終わった時に感謝の念が浮かぶ。
だから死について考えるということは、今日をどう生きるかに繋がっている。