(考え癖)自分のブロックを外す
人の考え癖というものが、人を作っていると思うのですが、
その考え癖がその人の悩みだったりします。
しかし、その考え方を変えないと、人は同じ悩みの中で過ごす事になります。
結局同じことになりますが、やっぱり自分を変えるしかないのです。
でも、いきなり180度変わるなんてことできるでしょうか?
簡単にそれが出来れば誰も悩まない。
難しいから、みんな何かに理由をつけて逃げるのです。
それは、根底にあるその考え癖を変えるための
こころのブロックを外さないとならないでしょう。
こころのブロック、それは本人にも気がつくことが難しい、
自分の一番対処に困る部分。
自分の苦手なことを意識しなくてはなりません。
でもそれが意識出来れば、(←これ意識できることが実はすごいチャンス!!なんです。
もう、ここで悩まなくなる、一歩進んだといっていいくらい)
日々意識して自分で変えようと思い、行動しないとなりません。(でも、これが難しい、努力なくしては成しえません)
日常それが出来るようになると、自分の考え癖自体が変わってきます。
自分の中の考え癖は、そうしていれば自分が一番安全だと思うから
していることなのだけど、
それは本当に正しいでしょうか?
だからこそ、思い込みなのだと思うのです。
実は、その考え癖にいたる経緯って、幼少期にあったことなどが
影響していたりします。
こどものころの記憶、
親からの態度や声掛け、評価……。
真っ新なこどもが何よりも影響を受ける人から
これは良し、これはダメと
無意識にでも入ってくると
子供自身が意識しなくても、その通りすることを
学んでしまいます。
ブロックは学んだ中で自身が作ったものでは
あるのですが、実はそれはもっとより深いところで
教え込まれている可能性があるかもしれない。
そんな風に思っています。
色々と変えられるといううたい文句で
アナウンスがあったりする記事をみますが、
100%他力はまずないと思ってみてます。
意識を変えるステップとして学ぶこと・
教えて貰うことはいいのですが、
誰かに自分を変えて貰えると思う人がいたら
それは宗教、洗脳にしかならないと
思うのです。
宗教とは言われたことをただ信じ、
行動して変わったと思い込むこと。
学びとは、言われたことを考えて、
行動して、結果を確認して、
意識できて、初めて腑に落とすこと。
宗教になれば、自分がなくなります。
信じるものが全てになるから
それがなくなれば不安になる。
学びの中で変わるなら、自分が体感するので、
自分の自信になるでしょう。
腑に落ちるところまで行けば
自信にはなっても
不安にならないと思います。